スイスには『フランスの最も美しい村』のようなアソシエーションはありませんが、もしあったならScuol(シュクオル)はそこに名を連ねているかもしれません。Scuol(シュクオル)は、スイスの南東部のウンターエンガディンと呼ばれる地域にある村で、オーストリアとの国境が目と鼻の先にあります。いわばスイスの外れの村であり、交通の便も悪い所にあります。それがゆえに独自の文化が今でも根付いているようです。フランスのこの手の村と比べてみると、家並みの色合いがカラフルで華やかな印象を受けます。絵に書いたような家々が立ち並ぶ村の中に来ると現実感が失せて行くような感じがします。この村の住人たちはここで普通に生活を営んでいるのですが、生活感をあまり感じませんでした。
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Scuol(シュクオル)
スイスには『フランスの最も美しい村』のようなアソシエーションはありませんが、もしあったならScuol(シュクオル)はそこに名を連ねているかもしれません。Scuol(シュクオル)は、スイスの南東部のウンターエンガディンと呼ばれる地域にある村で、オーストリアとの国境が目と鼻の先にあります。いわばスイスの外れの村であり、交通の便も悪い所にあります。それがゆえに独自の文化が今でも根付いているようです。フランスのこの手の村と比べてみると、家並みの色合いがカラフルで華やかな印象を受けます。絵に書いたような家々が立ち並ぶ村の中に来ると現実感が失せて行くような感じがします。この村の住人たちはここで普通に生活を営んでいるのですが、生活感をあまり感じませんでした。
Ardez(アルデッツ)
この特徴的な巨大な岩の上にそびえる古塔はシュタインスベルク城の名残りです。シュタインスベルク(Steinsberg)とはアルデッツ村のドイツ語名で、12世紀に建立されたこの城は15世紀にオーストリア軍に破壊され、この塔だけが岩のてっぺんに残ったまま今に至っています。この時代、スイス誓約同盟を結成してハプスブルク家に猛烈に抵抗していたスイスですが、優れた騎兵部隊を組織していたオーストリア軍に一敗地にまみれたことが想像できます。こんな静かで風光明媚な田舎ですら戦火にさらされていたわけですから、中世ヨーロッパの激しさを感じます。
国道からそれて村へ入ると石畳の通りになり、それまでうとうととしていた同乗者たちがごつごつとした石畳の振動で目を覚まします。村の中は狭い路地をはさんでかなり密集しており、なかなか車を停めるところが見つかりません。
村の中心と思われるところに広場があり、そこだけは開けていたのでここに車を停めて村を歩くことにしました。スイスやフランスの小さな村を訪れるとよくあることですが、この村には全く人気がありませんでした。でも、花の手入れがよく行き届いているのはさすがスイスだと感じます。せっかくこの村に立ち寄ったので、写真後ろ手に見えるシュタインスベルク城跡のある丘に登ろうと思ったのですが、この日はスイスでは猛暑と言ってもいいくらい暑く、丘を上る気力のある人はいませんでした。
むしろ、狭い路地の路肩に見つけたカフェの方に心が奪われていたようです。
この村もエンガディンの例に漏れず、この地独特のスグラフィット装飾が施された見事な家並みを楽しむことができます。この村の装飾の特徴として、より直線的で幾何学的な模様が多い印象を受けました。
また、家主の思いが込められたであろう強烈な個性を放つ装飾画も多く見られました。これまでにいろいろなエンガディンの村々を訪ね歩きましたが、この村の装飾画が最も個性的で主張が強かった気がしています。
でも、この村で一番印象的だったのはこの路地を吹き抜けていく風の心地よさでした。日差しは強く猛烈な暑さはあるものの、時おり吹くカラッとした涼しい風は汗をすっかりと乾かしてくれます。そんなワケで、村の散策も程々にカフェで夏の涼を嗜むことになりました。
花と温泉の街 Scuol(シュクオル)
エンガディン地方はスイス南東部に位置し、絶滅の危機にあると言われるロマンシュ語を話す地域です。エンガディンにはオーストリアでドナウ川と合流するイン(Inn)川が山間の谷間を流れ、その流域に沿って小さな村々が点在しています。
この辺りはスイスの中でも交通の不便なところ。そのせいかこの地を訪れる日本の観光客は少ないのですが、不便な分だけ古い歴史を持つ文化が守られており、昔と変わらないこの地方独特の雰囲気が残っています。個人的にはその不便さをもって有り余る魅力があるんじゃないかと思っています。
今回お伝えするシュクオル(Scuol)はウンターエンガディン(イン川の下流域)にある定番とも言える観光地です。
かつて宿場町として栄えたこの村には20種類の泉源が見つかっており、温泉リゾートとしても知られています。村の中心の広場の泉には2種類の鉱泉が湧き出ており、そのうち片方は飲用も可能だということです。
しかし何よりも魅力的なのが、石畳の街路にスグラフィッティという技法で描かれた幾何学文様やフレスコ画で装飾された家並みです。
これでもかと言わんばかりの花飾りとあいまってその美しさは倍増です。単なる住宅地なのに感動してしまいました。
特にドアの周りや窓枠には緻密な装飾画が描かれており、家主の思いが込められたであろう個性的なデザインが多くて、
一般の家庭にも関わらず、ついつい覗き込むように見てしまいました。
村を歩き疲れた頃に昼食にすることにしました。小さな村なので食事するところは限られていますが、ホテルのレストランはたいてい休日にもやっているので、お腹が空いたらとりあえずホテル探してみます。こんなホテルを目にするといかにもスイスなホテルでテンションは上がります。ちなみにスイスのホテルは三ツ星程度でもたいてい清潔で快適に過ごすことができます。
結局、私たちは向かいのホテルのテラスで昼食をとりました。ここはロマンシュ語圏ですがメニューはドイツ語でした(大抵そうだと思いますが・・・)。スイスの食事はイマイチだと言っていた日本からの来客もここでの昼食は楽しめたようです。もっとも雰囲気にごまかされてしまったとこぼしていましたが、それはそれでいいんじゃないんでしょうか。雰囲気も食を楽しむための一要素ですから・・・。
小一時間レストランで楽しんだ後、地ビール飲んですっかりほろ酔いとなった来客たちをよりディープなエンガディンに案内するために私はまた運転手としてハンドルを握りました。
ミュスタイア(Müstair)
イタリアとの国境にほど近い、スイス最東端にあるミュスタイア(Müstair)。人口800人足らずのこの村には鉄道がなく、険しい峠道を通らなくてはたどり着くことができないことから、スイスで一番の秘境とも言われています。
そんなミュスタイアにはかねてから行ってみたかったのすが、その念願が叶ったのは2011年の夏でした。自宅から片道約450キロのドライブです。スイス側からミュスタイアへ通じる唯一の道である28号線はところどころ険しい山道があり、つい最近までは道路の状態もあまりよくなかったと言われていました。しかし、私たちが行ったときには道路の改装も進み、とても走りやすい道になっていました。なので、景色を楽しみながらのんびりとドライブしたいところですが、地元グリゾン州(グラウビュンデン州とも言う)ナンバーの車は日本では信じられないくらいスピードを出すので、その流れに乗せられてあっという間にミュスタイアに着いてしまった感じがしました。
しかし、街や村を通過する時はみな必ず減速します。このルールは徹底されています。とくに、この28号線上にある村々は区画整理がなされていないのでとても道が狭く、対向車と通過するのもぎりぎりだったりします。おまけに、写真のように玄関を出てすぐに国道なんていう家もあるので、村を通過する際は細心の注意が必要です。
この時は日本から来た家族親戚を連れてきたのですが、運転手の私を除き全員爆睡状態でした。ミュスタイアの村に入ってから窓を全開にし、村の涼しい空気でみんなを眠りから覚ましました。
ミュスタイアもエンガディン地方の例に漏れず、美しい家屋が建ち並んでいるので、少し村を歩くと目が覚めてきたようです。
私たちがはるばるこの村に来た理由は、世界的に注目を集めている世界遺産があるからです。スイスの外れにあるこの村のそのまた外れにある聖ヨハネ・ベネディクト会修道院(Benedictine Convent of St John)は、『現存する、あるいはすでに消滅した文化的伝統や文明に関する独特な、あるいは稀な証拠を示していること』という世界遺産の基準を満たしていると見なされて、1983年にユネスコの世界遺産に登録されました。
最近、富士山が世界遺産に登録されて登山者で賑わっているように、日本では世界遺産に登録されると観光客がどっと押し掛ける賑やかなイメージがあります。このイメージのままヨーロッパの世界遺産を訪れると拍子抜けすることがけっこうあります。ミュスタイアもそうでした。へんぴな村の外れにある教会とそこに併設された博物館。世界遺産に登録されたという仰々しさは全くありませんでした。
修道院の入り口もいたって簡素。世界遺産云々という能書きも見当たらず、一瞬、ホントにここが聖ヨハネ・ベネディクト会修道院なのかと思うくらいでした。でも、そこに余裕と奥ゆかしさを感じます。
エンガディンの宿場町 サンタマリア・ヴァル・ミュスタイア
Sta Maria Val Müstair(サンタマリア・ヴァル・ミュスタイア)は、スイスの隅っこにある、人口400人の小さな村です。スイス東部のこの辺はエンガディン地方と言われており、交通網の発達したスイスにおいて最も交通の便が悪く、スイスの秘境とも言われています。エンガディン地方は絶滅の危機にあるとも言われるロマンシュ語を話す地域でもあり、独自の文化が色濃く残る地域でもあります。エンガディンの小さな村々を訪ね歩くのはスイスでの生活のひとつの楽しみになっています。
Müstair (ミュスタイア)谷に沿って続く道路は、スイス唯一の国立公園を貫く道であり、手つかずの自然の中でのドライブが楽しめます。この道にはオッフェン峠(フォルン峠)などの険しい峠があるものの、道路はよく整備されており、道幅も広いので走りやすく感じます。しかし、Sta Maria(サンタマリア)の村にさしかかると、とたんに道幅が狭くなり、対向車とすれ違うのが厳しくなります。これは、道路整備される以前からこの村が存在していたことを示しています。
Sta Maria(サンタマリア)の村は、イタリアのヴァルテッリーナ地方へ結ぶウンブライユ峠との交差点にあり、スイスとイタリアを結ぶ重要な交易ルート上の宿場町として栄えたそうです。
その名残が今でも残っているようで、この細い通りにはたくさんのホテルが軒を連ねています。
どのホテルもこぢんまりしていますが、旅の疲れを癒すには十分すぎるほどキレイなホテルばかりで目を見張ります。Sta Maria(サンタマリア)の村は、スイスの中でもど田舎中のど田舎と言っていいと思うのですが、田舎くささと田舎にありがちなもの寂しさを微塵も感じさせませんでした。
たとえ車を止めて村を訪ね歩く時間がなくても、思いっきり車を減速させて村を通り過ぎればその雰囲気は十分に伝わって来ると思います。車幅が狭くなるのはむしろ都合がいいかもしれませんね・・・。車社会の到来でSta Maria(サンタマリア)の宿場町としての役割は終わったかと思いますが、エンガディン地方の観光拠点のひとつとして生まれ変わったのではないかという印象を受けました。スイスの村は廃れた印象を人に与えないところが魅力でもあり、またすごさでもあるかと思っています。そんなスイスの村々のハリのある景観をお伝えしていきたいところです。
Céligny(セリニュイ)
村にはコレといった見所もなく、観光客は全く見かけませんでした。
そんな村を見慣れない東洋人がカメラをパシャパシャやりながら歩いていると、怪しい目で見られたりしないかなぁ、などと思うこともあるのですが、どこの村に行っても村人の視線が気になったことは一度もありません。スイスの田舎はホントにのどかなんだと思います。
ここは村の役所。村の役所はどこにいっても個性的なので必ず見ることにしていますが、この村の役所は一見レストランにも見えてしまう石造りの建物でした。
この村は高台にあり、村はずれの坂道に来るとその先にレマン湖と対岸のフランスが見えてきます。
レマン湖畔の村と言いましたが、坂道を下っても湖畔まではけっこう距離がありました・・・。
湖畔へと向かう途中にセリニュイの駅があります。が、ご覧の通りホームには柵が設けられ電車の乗り降りはできないようになっていました。どうやら廃駅のようです。
ジュネーブ空港行きのインターシティ(特急列車)は全く減速することなく通り過ぎていきました。電車に乗っているだけでは知る由もない村ですね。
廃駅からてくてくと歩くこと15分、湖畔にたどり着きました。ここは水質が抜群の砂浜でした。しかも、遠浅な感じだったので、夏場に水遊びをするには絶好の場所ではないかと思います。
そんなことを考えながら湖を見ていると、後ろから猛烈な勢いで走ってきたレトリバーがそのまま湖に突進して水浴びしていました。あっけにとられてしまってカメラを向けるヒマもありませんでしたが、その気持ちはよく理解できます・・・。
次はセリニュイの港へ行ってみました。
あんまり船の出入りもないんじゃないかと思える静かな小さな港。日陰のベンチには寝転がって本を読んでいる人たちがいました。
私たちは日向のベンチに座ってレマン湖を眺めていました。日差しは強いのですが、空気はまだ冷んやりしているので私たちには日向がちょうど良い感じです。
帰りは坂を上って村の中心まで戻ってきました。村のカフェが開店していたので、そこで小休止することにしました。看板も控えめだし、見た目は周囲の民家と変わりがないので、行きにここを通り過ぎたときには、ここがカフェだとは気がつきませんでした。
しかし、店に入ってみれば超満員。おそらく互いに顔見知りの地元の人たちだと思いますが、談笑する声が店の外まで聞こえるくらいでした。観光名所の何もない素朴な村ですが、スイスの豊かさを改めて感じさせる村でした。
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